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「私は幸せです」記事の訳・・・2

これはチョウルのジェットコースター

<外出> <家族の誕生>を製作したブルーストームのペ・ヨングク代表は遠い昔イ・チォンジュンの短編(断片)小説集<うわさの壁>に載っている短編<チョ・マンドク氏>を読んだ。 イ・チォンジュンが20年前の友人に聞いた実話を土台に使ったというこの短編をそれとなく映画で作りたくなって,いつか一度,と考えた車(茶). イ・チォンジュンのまた他の小説<虫の話>を原作三隠<密陽(ミリャン)>が作られることを見て彼は勇気を出して,ユン・ジョンチャン監督に<チョ・マンドク氏>を差し出した。 親日映画で誤読された<青鉛>の騒乱以後しばらく時間を設けて次期作で<ローマパン屋の休日>を準備中だったユン・ジョンチャン監督は投資問題で今日明日と延ばされた<ローマパン屋の休日>を最初から先送りすることにした。 代わりに現実の重さを耐えられることが出来ない男が狂って,精神病院にきて,狂ってより一層幸せになるという短編<チョ・マンドク氏>の骨組みだけを持ってきて,シナリオ<私は幸せです>を先にすることにした。

記憶したくない記憶を扱った<鳥肌>と,一見脈絡が結びつく<私は幸せです>は痛いお母さん,賭博に狂う兄,残酷な貧困のような現実を絶えられなくて,記憶をなくして,記憶を変えてしまった青年早晩数(チョ・マンドクが20代青年ヒョン・ビンと似合わない,過度に田舎らしさを強調したような名前という理由で変えたと)のおかしな幸福に関する話だ。

20代青年早晩数は気違いだ。 正確に言ってみれば一種の誇大妄想性精神分裂症を病んでいる。 届かない側がさらに悲劇の環境で彼は結構肉工夫をしたのだ。 それで精神病棟に入院して,治療を受けることになったが医師の診断と違い彼はひたすら楽しく生きる。 自ら結構金持ちの人間の上にその間激務に苦しめられて休むことができないがお母さんとともにスイスある療養院に休息にきていると固く信じているためだ。 主治医と専門担当看護師もいて,変に部屋がちょっと狭いけれどVIP用独房に留まって,とにかくよく休んでいるところだ。 彼がなぜこちらに入ってきたのか彼よりよく分かるのは看護師水耕(イ・ボヨン)だ。 病気にかかったお父さんの面倒を見るのにばく大な借金に座っているうえに,過去の恋人だった意志(医師)を商社で置いて非正常的な患者らの間で一日を送らなければならないから何一つ楽しくなる必要がない不幸な生きる。 そのように誰も,誰にも関心ない彼女に親切に話しかける唯一の隣が万寿だ。 “お父さんはちょっといかがなのか”で尋ねたり“治療費に加えろ”として白紙小切手(事実はそのまま紙)を渡す万寿は看護師水耕の孤独を看護する,世の中で最も幻想的な患者だ。

現在と過去という時点,,正常と正常ではないという精神状態の差はあるが,痴呆にかかったお母さんを置いた万寿も病気にかかったお父さんを置いた水耕は皆両親という重い荷を背負って生きる人々だ。 彼らにはいっそ非情な現実より幸せな妄想が祝福である場合もあるので,万寿を治療するというのはその祝福を蹴飛ばすことかも知れない。 商社の担当医師は万寿を治療して,家に送りかえそうとするが水耕はその治療というものにますます懐疑を感じることになる。
ユン・ジョンチャン監督は“現実に帰ればまた再び突破口がない残忍な人生が待つ。 果たして治療を受けて回復して,現実に帰ることが幸せだろうか?”と尋ねる。 イ・チォンジュンの小説<虫の話>を原作にした<密陽(ミリャン)>が‘誰が容赦を判断できるか’という質問を投げたとすれば<チョ・マンドク氏>を原作三隠<私は幸せです>は‘誰が幸福を判断できるか’という質問を投げる計算だ。 ユン・ジョンチャン監督がこの話に引かれたのもそうするからだ。 “治療受ける者と治療する者の視線がひっくり返りながら,病室中で生きる間あまりにも幸せだと感じるという患者の設定が気をひきました。 家族問題を扱った話,幸福を扱う視線は多かっただろう。 だがこのように違う見解は演出者として欲を持つようにしたというだろうか。”

<私は幸せです>はそれで明白に二つの話で分けている。 万寿の幸せな病棟生活と悲しい過去. 主舞台になる精神病院での生活が万寿の現在で,カーセンターを背景に撮影した場面らは皆現実の重さに勝つことが出来ない躁症の万寿がなぜそうなったのか明らかになる中後半部の場面だ。 そしてこれはユンジョン賛意前作らと妙に連結している。 記憶したくなかった記憶を想いうかべる瞬間終える<鳥肌>の主人公ら,朝鮮最初女流飛行士として得た同僚らとの友情,幸せなロマンス以後絶望と墜落,受難を体験しなければならなかった<青鉛>の,パク・ギョンウォンがそうしたように,金持ちの青年万数度いつか彼が夢見る夢から目覚めなければならない。 絶えず彼を助けるという周辺の努力と治療の行為が彼から少しずつ笑いと裕福さ,幸福を奪い取る逆説的な状況. その中で複雑微妙な心理と表情,暗い苦痛と記憶,世の中と他人から理解(利害)受けることはできない内面を持った人物に向かったユンジョン賛意関心は相変らず続いているのだ。

ただしその方法はもう少し緩やかになった。 <鳥肌>の,ヨンヒョンと先祖の霊が古いアパートから抜け出そうと努めて,<青鉛>の,パク・ギョンウォンはやむを得ず時代の空気の中で抜け出して,空に上がろうと努めるが<私は幸せです>の万寿は絶えず彼を押さえ付ける通念と精神病院の空気の中で自ら息をする方法を探すためだ。 世の中が正常ではないだと指差ししても私はそんなに幸せだということを万寿は全身で想像して楽しむのだ。 また一つ,こういう試みは<青鉛>で映画外敵の狂風に包まれたユン・ジョンチャン監督が痛かったりしたが疎通の失敗を自ら認めたことから始まったことだ。

今までユンジョン賛意映画では‘笑わせる’という単語が浮び上がることはなかったがもしかしたら今度はかなりそうするかもしれない。 <私は幸せです>は形式と内容,規模面で皆<鳥肌>と<青鉛>よりユン・ジョンチャンをさらに自由にする映画関係者件確実だ。 “<鳥肌>は終始押さえ付ける雰囲気があっただろう。 監督として柔軟性が不足したということをたくさん感じた映画でした。 酒に酔った時吐けばすがすがしいことと思ってずっと吐くのに,そのように見れば(狂う)及ぼすでしょう。 <鳥肌>道(ド)そのようにとればすがすがしいことと思ったのに,とってからさらに苦しくてだまして痛んで。 それで今度はジェットコースターだ。 (狂う)及ぼした万寿にはものすごい理由があって,それで鳴って笑わせたり良くて苦しいだろう。 これはチョウルのジェットコースターだ。 シナリオ読んだ人々が笑わせるって。”

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